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長崎県立大学学術リポジトリ >
国際情報学部研究紀要:第1号~第16号 >
第11号 >

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dc.contributor.author李, 炯 喆-
dc.date.accessioned2012-07-11T06:27:02Z-
dc.date.available2012-07-11T06:27:02Z-
dc.date.issued2010-12-17-
dc.identifier.issn1883-8111ja
dc.identifier.urihttp://hdl.handle.net/10561/682-
dc.description.abstract太平洋戦争の敗戦が必至となった1945年早春から降伏を決定した8月中旬までの終戦 過程を無決定という観点から検証した。一撃講和,早期終戦,即時終戦へと和平派の判 断が変わる中,抗戦派は本土決戦を固持して譲らなかった。その拮抗を終わらせたのが 二度にわたる天皇の決断であったが,終戦が遅延したので日本は度重なる大災難に遭っ た。国家的犯罪とも言われる終戦決定の遅延の主因は,軍部の抵抗,対ソ和平交渉でソ 連に翻弄されたこと,煩雑な会議過程と国体護持をめぐる観念的な論議などであるが, 究極,軍民の首脳らが本土決戦を避けて天皇の決断に服従したのは幸いであった。しか し,国際法上の盲点に突かれて,終戦後も満州ではソ連軍の武力行使が続いたので,当 地の日本軍民が新たなる悲劇に見舞われた。ja
dc.language.isojpnja
dc.publisher長崎県立大学-
dc.subject一撃講和,和平派と抗戦派,無決定の本質,天皇の決断,新たなる悲劇ja
dc.title終戦と無決定の本質ja
dc.title.alternativeThe end of war and the essence of indecisionja
dc.typeArticleja
dc.contributor.alternativeLEE, Hyong Cheol-
dc.type.niiDepartmental Bulletin Paperja
dc.identifier.ncidAA12376971ja
dc.identifier.jtitle研究紀要-
dc.identifier.issue11-
dc.identifier.spage161ja
dc.identifier.epage173ja
出現コレクション:第11号
 

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